故事、ことわざ。
結局のところ、四字熟語と故事は覚えれば覚えるだけよい。
初めて知ったときに、なんてキザな言い回しなんだろうか、と思ったタイトルの故事。
「えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや」と読む。
直訳すると、「燕や雀のような小さな鳥が、オオトリやコウノトリのような大きい鳥の志すところは理解することができるだろうか。(いや、できない。)」となる。
転じて、「小人物には大人物の志を理解することはできない」という意味になる。
燕雀はツバメとスズメ、鴻鵠はこれで「大きい鳥」という意味があり、転じて「大英雄」という意味を持つ。
燕雀はともかく、「鴻」は鴻池新田の地名でしか見たことがない。
この一文字で大きい水鳥という意味がある。
「鵠」はこちらも大きい水鳥という意味があるが、「的の中心」という意味もある。
弓道の的の中心は正鵠というらしい。
「正鵠を射る」は的の中心を射ること、転じて物事の急所を押えるという意味になるそう。
「安くんぞ~んや」は反語を表す。高校の漢文の授業でよく出てきた記憶がある。
「どうして志を知っているのだろうか」という言葉の裏に、「いや、知るはずがない」という強い意味が込められている。
なかなかにハイレベルなコンテキストである。
それにしても、「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」は響きがかっこいい。
如何様に研鑽を積めばこのような表現を口にできるのか甚だ疑問である。
私がこの意味を表現すれば、「凡人は天才のことわからず」が関の山である。
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